麗かな憂鬱・時の鐘よ鳴れ

人生の時の時々の楽の調べ、詩、歌、声、旋律。記憶の瞬き、心の赴くままに。

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ピーター・ガブリエル / PETER GABRIEL Ⅲ 或いは MELT (1980年)

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「今日のノスタルジ―♪」はピーター・ガブリエル(ピーター・ゲイブリエル)の『PETER GABRIEL』(1stも2ndも同名タイトル)で、通称「 Ⅲ サード」 或いは 「MELT メルト」と呼ばれている作品です。当時の私は洋楽のレコード(LP)をまだ10枚も持っていなかった頃、中学生の折に購入した思い入れの強いアルバムです。何故、大した洋楽知識も無い頃にピーター・ガブリエルのレコードを聴きたい、と想ったのかはとても単純な動機でした。カラーのグラビアが豊富に掲載されていた「ミュージック・ライフ」を購入しては、憑りつかれたかのように「デヴィッド・ボウイー」という名、または関連記事を必死でわくわくしながら探していた頃でした。正確には覚えていないのですが、「デヴィッド・ボウイーに似たアーティストは存在しない。比較出来るとしたらピーター・ガブリエルぐらいだろう」と。

ボウイは凄いなあ!と我が事のように誇らしく想えたものです。同時に、そのピーター・ガブリエルなるお方が気になり、当時の最新作であったこのアルバム「 Ⅲ 」を購入したのでした。初めて聴くレコード、あの針を下す瞬間の気持ちは至高の喜びでした。こうして今はYOUTUBEなどで動画も観る事が出来るけれど、当時は安易ではなかったもので。ましてや、私は針を下して聴いたあの1曲目の「Intruder」で、初めてピーター・ガブリエルのお声を知ったのです。既にボウイやケイト・ブッシュが大好きになっていた私は、ピーター・ガブリエルの音世界に違和感を抱くことなく、最後まで聴き終え、幾度か繰り返し聴いていました。

最も印象強く残っているのは、大好きなケイト・ブッシュのヴォーカルも聞ける「Games Without Frontiers」でした。

国境なき戦い
涙なき戦争
シー・サン・フロンティエ 
シー・サン・フロンティエ
・・・

Peter Gabriel


私が幼い頃、母が「もう戦争はいや」と何気に語ったのを今も憶えています。何かの映画かテレビを観ながらだったのかもしれない。私の両親は左翼思想の持ち主ではなかったので、決して嘗ての日本の戦争を否定することもなかったけれど、母の少女時代を不遇に想えたものでした。また、父は兄を戦争で亡くしている。日本は焼け野原になったこと、食べ物が無かったこと...等を私は両親との何気ない会話の中で知り、今もその短い言葉たちの深い響きが刻まれています。世界中で戦争、紛争が無くなれば良いのに!何故、肌の色や人種の違いで迫害されたりしなければならないのだろう!今もその気持ちは強く持っています。けれど、世界中のあちこちで、常に戦争は起こっているという現実。

米ソの冷戦時代が終焉を迎えても、米中関係は危機感を増す。日本はGHQ占領下の平和憲法を、戦後67年以上経た今も後生大事に抱えている。遂に中国は尖閣諸島は核心的利益ゆえに、日本に向けて中国海軍艦船によるレーダー照射した。ボタンを押せばどうなるのでしょう!!種子島も莫大なお金で中国は日本から買おうとしている(メディアはもっと報道するべきなのに!)。威嚇され日本が平和憲法で足枷されていることを中国は(その他特定の反日隣国も)日本人以上によくご存じ。これが問題。私自身も含めて平和の毒に浸ってのうのうと生きて来た。焼け野原から経済大国になった日本。先代方のご苦労の賜物だと感謝しています。けれど、「戦後」という意識すら無く大人になって行った私は、今、まだ「戦後」は続いていることに嫌悪します。結局はアメリカの属国のような日本のまま。もう嫌だなあ!後の子供たちの世代になったら、このままではどうなるのでしょう?!

ピーター・ガブリエルは英国人。長い歴史のある英国、栄華を誇っていた大英帝国。華やかな豊かさの陰で幾度もの戦争、紛争の歴史。その戦場の最前線の人々に想いを寄せる。国も勝敗も関係なく、最前線で戦う兵士たちに。強烈な反戦ソング。また、ラストの大名曲「Biko」では人種差別問題に真っ向から「NO」と唱えている。「ビコ」とは、アパルトヘイト政権下の南アフリカ共和国で殺害された黒人解放活動家スティーヴ・ビコの事。アパルトヘイト政権下ではアジア人も有色人種ゆえに人種分類の対象。日本人は経済的援助ゆえに白人扱いであったのです。そんな日本を誇らしく想えない。そんな欺瞞と繕いばかり。日本人もアジア人である。有色人種である。それ故に原爆投下までされたのではないのだろうか...。もっと、人間としての尊厳を!自由を!下の「Biko」の動画では、リチャード・アッテンボロー監督の映画『遠い夜明け』(1987年)の場面も登場します。スティーヴ・ビコ役はデンゼル・ワシントン、ビコと交友のあった白人記者ドナルド・ウッズ役はケヴィン・クラインです。

ピーター・ガブリエルは自国の英国や白人社会を批判しながらも、英国人としての誇りを持ったお方に想います。言葉では語れない国家が本来どの国の人々にもあるものでしょうが、どうも戦後の日本は国家を蔑ろにして来たように想えてなりません。体制批判と国家を想う気持ちは表裏一体でもある。そんな事を現実に今もなお関与し続けながら戦中、敗戦、占領時代、戦後経済成長時代...を知る昭和一桁世代の先輩方の言葉は私の心に響く。戦争をしない為に核武装論を(シミュレーションだけでもと)唱え続ける石原慎太郎氏に深く賛同します。安倍政権下で憲法改正出来なければ後は無い...そんな憂国の念が募る日々です。アメリカの核の傘に守られているなんて妄想は、もう傘がぼろぼろに成りつつある危機感、現実に目を向けなくては。核なんて全ての国が放棄すれば良いのに、保有国は抑止力となっている現実。インドも核武装国になった...ガンジーの武力無き壮絶な抵抗運動は形を変えたのです。その理由を考えると、さらに深刻な問題に気が付くように想えます。

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国家とは?などと考えた事もなかった中学生の折に知り得たピーター・ガブリエルの「Ⅲ」。その作品、曲に込められた強い想いは尊い。音楽家だから芸術家だから、政治的な事柄から距離を置こうとする傾向の強い日本を嘆かわしく想います。生きている社会とは現実なのですから、同じ線上にある繋がった大事なことの筈。そんな想いを強く抱きながら、ピーター・ガブリエルという稀有なアーティストの作品を聴き返していました。



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麗しきデカダンを纏った才女 ☆ ゲシュ・パティ / GUESCH PATTI 愛の迷宮 / LABYRINTHE (1988年)

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ゲシュ・パティのこの作品はレコードでジャケ買いしたものの一枚で思い入れも強いです。フランス盤でした。1988年...今から想うとそろそろ日本のバブルの終焉が近づいていた頃でした。当時の私はそんな日本が世界で一番だとか、嘘っぽい気がしていたものです。なぜでしょう...あまりにも表象的な騒音が活気でもあり、また精神の伴わない荒廃のような。お金や物質的には豊かになれど心は貧相になっているような気が漠然とありました。音楽関係のお仕事をずっとしているのですが、あの頃はただ毎日忙しく信じらない程、月に250時間程の勤務の時も。だからと云って上司方のように豪華なお食事に出かける事も無く、先輩と後輩の間で右往左往。でも好きなお仕事に携わっている日々を私なりに愉しんではいたと想えます。最も痩せ細っていた時期もこの頃かもしれない。あまり体重が落ちすぎると病院に行く頻度が増えるので、今もダイエットはしない、どちらかというと反ダイエット派です。

さて、このゲシュ・パティのジャケットになぜ惹きつけられたのだろう...。直観的に、真っ白なチュチュ、真っ赤なトゥ・シューズで身を纏いながらも、邪悪で滑稽なデカダンを感じたからかも。シャンソンという古い伝統を継承しながらも、どこか破壊的な革新さ。優美であり、また猥雑さを伴う耽美世界。退廃もまた美であると今も思っています。けれど私の苦手なグロテスクな嫌悪するものではない、そんな危ういバランス感覚が好き。ゲシュ・パティは9歳の頃からクラシック・バレエを始めダンサーとして舞台出演もされていました。表現者としての歌い手が好きなので、そのようなアーティストはただ歌唱力があるだけではつまらない。ゲシュ・パティがダンサーからシンガーへの道へ本格的に歩み始めるきっかけは、声がでなくなってしまった事によるそうです。治療の末声が出るようになった折、すっかり元よりも太い声に変っていたのだと。その事実に屈せずに個性へと昇華することの出来る強靭な精神。ゲシュ・パティはミック・ジャガーの大ファンでもあるそうですが、ゲシュ・パティを称し、”フランスのニナ・ハーゲン!”と当時なにかの雑誌で書かれていました。この日本盤の解説によると、本国フランスでは”エディット・ピアフとティナ・ターナーの競演!”と評されたりしていたそうです。

ゲシュパティ


『彼女はサッフォーより過激であり、フランソワーズ・アルディよりもロマンティックで、ブリジット・フォンテーヌよりも大きな宇宙を感じさせるだろうし、かつてのジャック・ブレルやエディット・ピアフを讃えつつも、フランスの持つ音楽イメージを崩壊させるために生まれた革命児とさえ言えるのではないだろうか。』


このように、山田道成氏も絶賛されております。私の好きなお方ばかりのお名前が登場し嬉しいです。”80年代的な”独特の雰囲気があります。パンク、ニュー・ウェイヴを経ての時代。それらの空気が今でもやはり好きな私はゲシュ・パティは麗しきデカダン(デカダンス)を纏ったお方に想えます。



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フランスのロックに、ジャン=ルイ・オーベール / JEAN-LOUIS AUBERT 或いは TELEPHONE / テレフォン(テレフォヌ)在り! 夢にさよなら / UN AUTRE MONDE ♪

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JEAN-LOUIS AUBERT

新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2013年になったのですが、相も変わらずの平日、休日の感覚から離れた日々を過ごしている故に、どうもピンと来ないものです。でも元日には初詣に参りました。子供の頃から家族で詣でるのは京都方面が主でした。今年は初めて大阪の最も京都に近い水無瀬という北摂の地に在る水無瀬神宮(嘗ての名称は水無瀬離宮)へ。この神社には後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇が祀られています。まだ10代の折、歴史大河ドラマ「草燃える」という平安から鎌倉時代の戦国時代の番組での後鳥羽上皇(演じていたお方は失念)が登場されていた回もあり、また後鳥羽天皇の名は百人一首で初めて知り得たことなどを懐かしく回顧するのでした。

ふと懐かしく甦る風景。いつの間にか私の人生も結構な時間が過ぎている。けれど記憶の扉とは不思議なもので、或る曲のフレーズが頭の中で流れ出すことがあります。そんな一曲、大好きな曲のことを。

TELEPHONE

フランスのロック・バンドとして英語圏のロック・バンドに匹敵する最高のバンドであったテレフォン(テレフォヌ)。1976年の結成から1986年までの活動。1977年の1stアルバムを80年代に入ってから購入したのが最初の出会い、『革命児テレフォン』だった。メンバーはジャン=ルイ・オーベール(Jean-Louis Aubert)、ルイ・ベルティニャック(Louis Bertignac)、コリーヌ・マリノー(Corine Marienneau)、リシャール・コリンカ(Richard Kolinka)の4人。ジャン=ルイ・オーベールとルイ・ベルティニャックという2人の優れたギタリストが居た。私はメイン・ヴォーカルを担当するジャン=ルイ・オーベールが最初から好きで、解散後のソロ・アルバムも聴き続けている。ソングライターとしても好きだしあのお声がやはり好き!その上ルックスも良いし。

テレフォンは、かのジミー・ペイジも絶賛したというバンドでもある。歌われる歌詞はフランス語ながら英語圏のロックに引けは取らないバンドだったと想います。フランスのパンク・バンドともニュー・ウェイヴとも云われる時代の活動期間。今聴いても好きな曲は不変。イギリスの同時代のロック・バンドと同じ感覚ですんなり聴けたテレフォンの楽曲はポップであり、殊にイントロから「好き!」っという感じの曲が多く、わくわくしながら聴き入るのです。時に泣きのメロディーもあるのでたまらないし、女性ベーシストのコリーヌの存在も欠かせない。解散は残念だったけれど、残された楽曲たちは色褪せないと動画を拝見し再認識できます。スタジオ盤としてはラスト・アルバムとなった1984年の『UN AUTRE MONDE』のタイトル曲(邦題は「夢にさよなら」)。切なく熱く響くのです。

TELEPHONE / UN AUTRE MONDE


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ハート / マジック・マン ☆ ソフィア・コッポラ監督の映画『ヴァージン・スーサイズ』で再会したアン&ナンシー姉妹のハートの70年代の名曲たち

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スティーヴィー・ニックスが大好きだった頃というと、MTVやベストヒットUSAという洋楽番組が楽しみだった頃。まだデヴィッド・ボウイやケイト・ブッシュ等、僅かなLPしか持っていなかった。母が毎朝お弁当を持たせてくれるのだけれど、パン代を貰える日が嬉しいのでした。母には感謝していたのですが、少女マンガを買うのを止め、欲しいレコードが色々あったので。500円程のパン代をパン一つとジュースで半分を少しずつ貯めていたのです。毎月のお小遣いではLP一枚しか買えないので、中学生の途中からは郷ひろみのシングル盤も買うのを諦めていた。大好きだったマンガもひろみのレコードも諦めることは簡単でした。何の予備知識も無く、ただ音楽雑誌やラジオ、そして洋楽番組からの情報を必死でチェックしていた頃。洋楽に対して最もピュアに向かい合えていた時期かもしれない。そして、MTVの影響は大きく、ヒット曲は幾度もへヴィ・ローテーションで流れる。好きでもないジャーニーとかばかりの日もあったけれど、根気強く観ているとイギリスのニュー・ウェイヴのビデオクリップが流れることも。メインストリームとしてのアメリカを中心としたヒット曲たちを聴く中で好きなアーティストというとやはり女性ヴォーカルだった。

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そんな中、アン&ナンシーのウィルソン姉妹を中心とするバンド、ハート(HEART)を知る。ちょっと素敵だな、という感じでヒット曲を聴いていた。ギター&ヴォーカルの妹ナンシーの方が好きだった。少し年月を経てから、大抵はヨーロッパ盤を購入していた私はアメリカ盤の安さに衝撃を受ける。物によれば倍位違っていた。そんなUS盤コーナーの中でハートのレコードに出会う。それは1stと2ndアルバムでどちらも70年代後半の作品だった。MTVのPVとは全然雰囲気が異なり、70年代の空気が既に好きだったのか躊躇なく購入した。洋楽の入り口はイギリスなので、新鮮な気もしたけれど愛聴というほどではなかった。何故なら、ニコやマリアンヌ・フェイスフル、ブリジット・フォテーヌやフランソワーズ・アルディを既に愛聴していたので。私の年齢もビートルズを初めて聴いた11歳から16歳となっていた。同じ10代でも大きな違い。この辺りの事は長くなるので、「クララの森・少女愛惜」であれこれと綴っている過程。

そろそろ進学のことなど進路について先生も級友たちも話していた。私と来たら、16歳から17歳というあの時期程、この世から消えてしまいたいと思ったことはない。それが無理ならばこのまま成長しないで時が止まればよいのに、って。消えてしまいたいというのは死にたいという感覚と近くて異質のものだった気がします。ただ、そんな事を大真面目に考えていた。そして、運悪くか運良くか、生まれつき弱い腎臓を患いクラブ活動はドクターストップ。仲の良い友人たちのクラブ活動が終わるまで、私は図書館通いの日々が始まった。時間が出来たので他の人達より読む時間が増えただけ。クラスで一番図書館の本を借りているというので、担任の先生に褒められたりもしたけれど、借りた本をすべてチェックされているのかと思うと少し恥ずかしい想いもした。「人間はなぜ生きるのか」と真剣に考えていたので、理解できないのにそんな哲学関係のものを主に借りていた。また実存主義文学は相性の良さを感じたので、今好きなものたちともずっと繋がっているように想っています。



ハートの1stアルバムの中に「マジック・マン」という曲があった。その曲に久しぶりに再会したのは1999年のソフィア・コッポラ監督の映画『ヴァージン・スーサイズ』でのこと。フランスのエール(AIR)のスコアも好きだったし、トッド・ラングレンの曲も良かった。でも、キルステン・ダンストを始めとする5人姉妹の少女たちとあの淡い色彩は美しくも悲しい色調でもあった。13歳から17歳という5人姉妹が自殺を遂げる。時代設定は70年代のアメリカ。女の子たちは少女期から大人の階段を上る過程で、トントン上ってゆける人もいれば、止まったり下りたりしながら戸惑う少女だっている。正しく私はそんな一人だった。幸い日本に生まれ育ったお陰で死を考えることなく社会にどうにか出ることが出来た。同じ歳の少女でもアメリカだと大変だろうと映画を観て、原作を読み落ち込んでしまったほど。強いアメリカの中で生き抜くために、自立した女性でなくてはならない。それが望ましいと教育され切磋琢磨しながら強靭な精神を育むのだろう。凄いなあ。でも、アメリカ人だからといって、皆そんな人生を歩めるものでもなく。高校生の頃の私と同じ歳のアメリアの少女たち。生きた時代も国も違うけれど、死にゆく儚き少女たちに静かなシンパシーのようなものを抱きながら、70年代のアメリカの姉妹バンド、ハート(カナダ出身)にまた今再会した感じです。

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今まで観たことがなかったけれど、そのハートの「マジック・マン」の当時のライヴ映像があり感激!「バラクーダ」のライブ映像では、ステージの後ろに大きな星条旗が掲げられている。職業は何であれ国を背負っていることを教えて頂ける。日本では敢えて教えられずにいることのような。お陰で日本や国家という意識が希薄なまま大人になってしまった私のような世代。日本だけの特殊な現象。他国では右派左派共に先ず愛国が当然の如くある。なので、限られた国だけながら、奇妙な隣国のような愛国無罪なる反日行為も繰り広げられる始末。ああ、憂国。

色々な想いを抱きながら、まだ途中の人生ながらこれまで出会った好きな音楽や映画の想い出などを綴るこのブログ。初めて観る映像が多く新鮮ですし、再評価できたりもします。ハートのヴォーカルのアン・ウィルソンって凄い歌唱力です!「女性版ロバート・プラント」と称されるのも納得!アンもナンシーもこの1976年と1977年の1st,2nd時代は初々しく、フォークロア調の楽曲もこの初期の特徴です。MTV時代の大ブレイクで知ったバンドでしたが、今もこの初期のハートが好きです。でも、今も現役なのは素晴らしい!アンはかなり太ってしまいましたが、ナンシーは今もクール・ビューティーでお美しいのも何よりです。

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関連『ヴァージン・スーサイズ』 原作:『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』 
監督:ソフィア・コッポラ (1999年) 音楽:ハート / マジック・マン 他

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永遠のベラドンナ ☆ スティーヴィー・ニックス / 嘆きの天使 STEVIE NICKS / STOP DRAGGIN' MY HEART AROUND ~ エッジ・オブ・セヴンティーン / EDGE OF SEVENTEEN (1981年)

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STEVIE NICKS

スティーヴィー・ニックスの1981年のヒット曲『嘆きの天使(STOP DRAGGIN' MY HEART AROUND)』。1stソロ・アルバム『麗しのベラドンナ』よりのもので、共演はトム・ぺティ&ザ・ハートブレイカーズ。MTVのビデオクリップを幾度も観ては胸ときめく10代でした。私にとって、スティーヴィー・ニックスは輝くスターでありアイドルのようなお方、あの少し鼻にかかったようなハスキーというかダミっとしたお声、反して妖精のような麗しいお姿はドキドキする存在で、今も思い浮かべるだけで心が高揚しトキメク。きっと、そのようなお方は知らないうちに私の心の住人となっているのでしょう。でも、ソロ・アルバム以前に、フリートウッド・マック(スティーヴィー・ニックス加入後が全盛期だと想う)、当時、恋人同士だったリンジー・バッキンガムとのユニットであるバッキンガム・ニックスなど、長いキャリアのお方で後追いの私には、ミューズ(女神)的な存在と云った方がフィットするようにも想う。

この曲でトム・ぺティを知った。好感を持ってしまったのはスティーヴィー・ニックスとの共演者であるという単純なことだったような。けれど、トム・ぺティのアルバムも購入して聴くと、良いのでした。そして、御大ボブ・ディランが来日という日がやって来た。やはり、生であのお声を聴きたいと想いチケットを購入。大阪ドームの後ろの方で小さくしか見えなかったけれど、その時の共演がトム・ぺティであったのでラッキーに想えたものだった。好きになったアーティストの共演者や関連する人々を追うという癖があり、お陰で色々と広がってゆく。もう細かいことを忘れてしまったり、タイトルが想い出せない...等、こうしてメモしておかないと頭が混乱するばかり。想い出せないと眠れなかったりと困った性質らしい。



スティーヴィー・ニックスの動きも大好き!可愛いくてカッコイイ!これは私の好きなタイプの女性アーティストに多い。女性らしさの中に熱いものがある。スティーヴィーの場合、私は特にあの片足の動きが魅力のひとつでもある。歌いながら感情が高まる時に自然とでる動きなのだと想う。その片足でリズムを取り歌う視線はクールでもある。この動画では時折カメラ目線となる。その度にドキン!と私はときめく。もう一つの曲は1983年の『STAND BACK』のPVです。懐かしいです。後ろの男性方は私にはどうでも良くて、美しきスティーヴィーをもっと観ていたいのに!という想いでブラウン管に釘付け状態で魅入っていた日が、まるで昨日のことのように蘇ります。

年月は流れゆき、今も現役のスティーヴィーですが随分ふくよかな体型になっておられるけれど、この80年代のお姿、またもっとお若い頃の動くお姿も拝見させて頂ける時代に感謝したいです。1981年の1stソロ・アルバムの中のこれまた大好きな曲『エッジ・オブ・セヴンティーン(EDGE OF SEVENTEEN)』の動画も発見し、真夜中に独りで大喜びしています。ここでも左足を軽やかに高く上げる場面があり嬉しくなります。

妖艶さも嫌味がなくロングヘアーと黒や白のロングドレス姿も好き。両手を広げふんわりと廻るお姿も特徴で、やはりドキン!とする。永遠のロック・クィーン!永遠のベラドンナ!永遠の妖精スティーヴィー・ニックス☆


この↑『エッジ・オブ・セヴンティーン』↓のライヴ映像はPart1とPart2に分かれています。


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デヴィッド・ボウイ / セヴン・イヤーズ・イン・チベット DAVID BOWIE / SEVEN YEARS IN TIBET (1997年)

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私がジョン・レノンよりも好きで好きでたまらなくなったアーティストはデヴィッド・ボウイ。まだ中学生で14歳だった。あれから早いもので30年以上経てしまった。それでもどうしてもボウイが大好き!デヴィッド・ボウイとしてロック史に刻まれた数多くの名曲やアルバムたち。ボウイ史を4つか5つに分類できるほど、時代時代に重要な作品を発表し続けて来た、とてもアーティスティックなお方。ボウイについて語り出すと止まらない。また同時に私を思考に向かわせる。夢の世界であったり現実の恐怖の世界であったり。

1997年にボウイがリリースしたアルバム『アースリング』に収録されて、シングル盤にもなった『セブン・イヤーズ・イン・チベット(Seven Years in Tibet)』という曲が、ここ数年私の中でボウイの重要な曲の一つとして蘇ってきたのです。この同年にはジャン=ジャック・アノー監督による映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』も公開された。原作はドイツ人で元ナチス親衛隊(ナチ党員でもあった)ハインリッヒ・ハラーの自伝『チベットでの七年間』。刊行は1952年。ハインリッヒ・ハラーがチベットで過ごした7年間、ハラーと若きダライ・ラマとの交流を脚色を加えて描かれたもの。当然の事ながら、中国共産党は公開してほしくない作品なので、中国では上映禁止となった。主演はブラット・ピットやデヴィッド・シューリスという米英の有名な俳優たち。またダライ・ラマの母親役を演じたのは、ダライ・ラマの実妹ジェツン・ペマである。

私が「チベット」というお国の名を知ったのは小学生の社会の時間で白地図に世界の国々の名を埋めて行くテストもあった。これまでの私はヨーロッパの国々が好きで、アジアの国々の作品を鑑賞したり触れたりという機会とは圧倒的差異がある。ところが、ボウイのヒストリー本などを読む中に10代の頃にチベット仏教に傾倒していた頃があり、短期間ながらチベット僧としての修業体験もあるのだと知る。それ以来、チベットやチベット仏教は私に何かしらの影響を知らず知らずのうちに与えてくださっていたのかもしれない。当時はインターネットも無く、ニュースは新聞かテレビ。ましてやまだ10代の私には何も分からない事が世界で起こっていた。中国もまだ今のように経済大国ではなかったし、日本はバブルで世界の先端を走っていた頃のこと。

そんな日本もバブル崩壊後、景気は悪化。そんな折に左翼政権を生み日米同盟も揺らぎ始めた。追い打ちのように東日本大震災という1000年に一度とも云われる大地震と大津波によって日本の大切な東北が大きな被害に遭い、多くの犠牲を生んでしまった。原発事故まで起こり、司令塔が麻痺する菅直人政権という最悪の総理の折に不幸が重なる。尖閣諸島での日本の領海内での中国船との衝突事件。それ以来、やって来る頻度も規模も大きくなっている現状。中国は覇権主義の国、一党独裁の共産主義の国。何が日中国交正常化40周年だろう?正常化などしていない事が日本人にも分かって良かったのです。問題提起された石原慎太郎東京都知事は中国でも、日本国内の親中派の方々からも右翼だの、反中だのと悪者にされますが、もうずっと一貫しておっしゃっているのは「私は中国の文化や中国は好きです。中国共産党が大嫌いなのだ」と。この意志は日本人より中国で民主化運動をされている方々の方がお詳しいかもしれない。とても不思議なことですが重要なことでもあると思えます。また、石原都知事は「日本をチベットにしたくない」とも幾度もおっしゃっている。私も深く同意しています。

『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』という曲について、ボウイ自身は以下のように語っています。

チベットの状況について何か発言したかったんだ。僕は19才の頃ににわか仏教徒になった。半年ほど勉強したかな。実に素晴らしいチベット人たちと知り合った。ロンドンのチベット協会でのことだ。その中の一人とは数年間付き合いを保っていた。彼の名前はチメ・ヨン・ドン・リンポチェといい、ロンドンの大英博物館の翻訳者なんだ。当時僕が非常に影響を受けていた本にハインリッヒ・ハラーというドイツ人の『チベットでの七年間』というのがあった。彼はごく初期の内に実際にチベットに行った西洋人の一人だった。この本の卓越した実在感と実に崇高な哲学は感動的だ。何年たっても忘れることのできない本だった。そこで僕は近年チベットで起こっている政治的状況に、音楽を通じて何らかの関わりを持ちたいと思った。この曲は家族を殺され、自国内で無力化させられている若いチベット人たちの絶望感や苦悩を表現している。敢えて具体性を追求しすぎないようにした。表現主義的なレベルの歌詞の方がより効果的だからだ。曲全体から漂う雰囲気を感じ取ってほしい。

デヴィッド・ボウイ

このボウイの言葉を1997年に読んだ折と今の私はとても違います。チベットに対する意識と、弾圧する側の中国共産党に対する嫌悪感という意味に於いて。私も石原都知事やデヴィッド・ボウイが問うチベットへの弾圧行為が許せない。よその国の出来事だと暢気にしてはいられない、今、日本は既に危機にさらされているのですから!経済的にダメージを受けても守るべきものは日本である。国家であり、領土であり、日本語であり、日本の文化や尊い歴史を奪われて、中国の属国などには絶対になりたくはない!という気持ちは確固たるものになっています。


上のライヴではシングル・ヴァージョン、下のライヴではアルバム・ヴァージョンでしょうか。



デヴィッド・ボウイ / セヴン・イヤーズ・イン・チベット
DAVID BOWIE / SEVEN YEARS IN TIBET
作詞・作曲:デヴィッド・ボウイ 1997年


大丈夫だろうか
君は頭を打ち抜かれた
僕は君の脳みそを抱えている
老婆が云った
そこで僕は夕暮れ空の下の物陰で
酒を飲む
何も見えない

星空が特別なものに見える
ずっと前に降ったような雪
儚い人影が
ヨガゾーンの向こうに漂っている
山に問う時が来た
なぜ豚が空を飛べるのかと
大した問題じゃないけれど・・・

僕は君を賛美しよう
何も去って行きはしない
僕は君を賛美しよう
何も去り行きはしない
僕は君を賛美しよう

seven years in tibet 7

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ペンタングル / クルーエル・シスター PENTANGLE / CRUEL SISTER (1970年) ~ 19世紀のジョン・ファエドの絵画 ~ 美しくも残酷なバラッド詩 『二人の姉妹:THE TWA SISTERS』

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pentangle (1)

私が初めて聴いたトラッドフォークのレコードはサンディ・デニーのソロ・アルバムだったと思います。でも、まだ「トラッドフォーク」という音楽世界のことなど微塵も知らない頃でした。フォーク・ミュージックというかフォーキーな調べ、繊細な美しいアコースティック・サウンドは既に好きでした。その起源はフランソワーズ・アルディだと思います。また、サンディ・デニーからフェアポート・コンヴェンションを知りました。

80年代育ちの私は当時ニュー・ウェイヴというインディペンデントから続々と発表される音楽が大好きで、そんな中に「ネオ・アコースティック」というジャンルがありました。「ネオ」とあるのだから本家本元があるのだ!“それはどんな音楽だろう”と思ったものです。既に女性ヴォーカルを優先していたようですので、悲しいかな、「ネオ・アコースティック」に女の子ヴォーカルは少ない状況でした。なので、新しく発売される作品と、70年代、60年代と遡って中古盤や再発盤のレコードも購入し、それらの新旧の音楽を平行して聴くようになってゆきました。

pentangle.jpg

そんな流れの中で、ジャケ買いなのですが、ペンタングルの1stアルバム『ペンタングル』(再発盤レコード)にとても感動して、この『クルエル・シスター』で完璧にノックアウト!という状態となったのです。この作品は、ペンタングルの1970年4thアルバムで『クルーエル・シスター』或いは『クルエル・シスター』と表記されています。メンバーはジャッキー・マクシー、バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン、ダニー・トンプソン、テリー・コックスという強力な5人組。古くからの伝承バラッド、トラッドフォークの素材と新しさを融合させた「ペンタングル」独自の音楽世界を物語性を帯びながら、ラストの18分40秒に及ぶ大曲まで聴く者を魅了する名作です。

「美しいけれど悲しい調べ」というのはどんな音楽ジャンルでも私の好きなキーとなるようなのですが、このペンタングルの『クルエル・シスター』を聴いた折は、さらになにかゾクゾクするような「美しいけれど怖い」という印象を強く受けたのです。それは何故かと幾度も聴いているうちに、太古の伝承(バラッド)を元に作られた楽曲たちであること、そんな時空を超えた幽玄美のような世界に魅了されたのでした。そして、トラッド・フォークやフォーク・ミュージックをさらに好きになり今も継続中です。生音も電子音もそれぞれに魅力がなるので、私はどちらかを贔屓することはないお気楽者でもあります。

THE TWA SISTERS

上の絵はスコットランドの画家ジョン・ファエド(JOHN FAED:1819年8月31日~1902年10月22日)の『クルエル・シスター』(1851年)と題された作品です。英国のトラッドフォーク・バンドのペンタングルの同タイトル曲を作に知り、後にこの絵画を知りました。私はジャンルをあまり意識せず女性ヴォーカルがいつの間にか大好きになり、今では愛好しているのだという自覚があります。少女愛好と無縁でもないのです。そんな中でトラッドフォークが好きになってゆきましたが、何と云ってもあの幻想とロマンの歌詞の世界とメロディに魅了されたからです。そのきっかけとなった曲がペンタングルだったのです。

ロマン主義とも無縁ではなく、美しくも残酷な伝承たちは遥かなる時代から生き続けています。元来、神話や妖精物語が大好きなので今もまだまだ色々と読んだり鑑賞したりしては感動しています。フランシス・ジェームズ・チャイルド(FRANCIS JAMES CHILD:1825年2月1日~1896年9月11日)というお方の大偉業である『チャイルド・バラッド』の文献の日本語訳(全部ではないけれど)が全3巻として発行された折は飛び上がる思いで、今も机の片隅にいつも居るご本たち。この『クルエル・シスター』は『チャイルド・バラッド』の10番(チャイルド氏の名がリスト番号となっている)の『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』と題されたものと類似したお話。似たお話は、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズを中心にヨーロッパ各地までに及ぶ「バラッド集」は幾種類もの文献が存在するようです。私は特に研究家でもないので限られた手許にある資料を参考にさせて頂いています。

姉妹物語が好きでもあるので、この絵に関連した『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』のお話も。この絵の三人は、真ん中の騎士、そして向かって左の女性が姉で右が妹の姉妹です。この騎士は妹を愛しているのだけれど姉の妬みにより、可哀相に妹は姉の手によって川へ突き落とされて死んでしまいます。姉は黒髪であることが強調されているようで、妹は金髪で白百合のような手で細い腰の美しい娘。しかし、姉の手によって溺死してしまう。妹は浮いては沈み浮いては沈み水車の堰まで流れてゆく。粉屋が娘を見つけ、竪琴弾きが通りかかり、その娘の蒼い姿をみつめ泣く。竪琴弾きは娘の肋骨(ほね)で琴を作り、娘の髪で弦を張り、その竪琴を持ってお城にゆく。その音色は石の心も和らげ、その調べは人の心を悲しませる。お城に着き石の上においたその琴はひとりでに鳴り出すのでした。

琴がならした最後の音は
ビノリー ビノリー
「ひどいお姉様のヘレンにわざわいあれ」
きれいなビノリーの水車のほとり


『チャイルド・バラッド』 より

「肋骨(ほね)で琴をつくり」、「髪で弦を張り」という現実的とも非現実的ともいえる表現について、ウィンバリーは「『二人の姉妹』は骨=魂の関係の証拠であり、娘の精霊が髪の毛に現れている」と述べている。なので、琴が妹の化身であるということでもあると、解説にあります。

「ビノリー ビノリー」のリフレインがまた不気味に美しいのですが、こうした伝承バラッドには詳しい舞台設定など無く、淡々と突発的に物語が進んでゆくのも愉快です。黒い髪の姉は色黒のようであり、この時代「黒い」とか「黒」は不吉なとか、野蛮、劣悪さの象徴とされていた時代。赤い髪もかなり酷い扱われ方をしてきたけれど、こうした伝承世界に有色人種に対する嫌悪は隠せない時代であったということも、長い歴史の中で考えさせられ学びとなると想っています。ちなみに、ペンタングルの歌の最後では、この残酷な姉は涙を流して終わりますが、バラッド詩の中では残酷な姉は妹の呪いの歌声(調べ)を聞きながら終えるのが通説のようです。


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Posted by chouchou on   2 comments   0 trackback

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「ロック&シャンソン愛好者」などと云っているのだけれど、ジャンルなんて曖昧なものだとずっと想っている。ショーケンをロックだと想う、泉谷しげるもロックだと想う。フォーク・ロックという言葉があるけれど。ボブ・ディランはフォークの神様だろうけれど、私はずっと後追いなのでボブ・ディランもロックだと感じて来た。そんな定義など難しいし「ロックだ!」と感じたその音楽や人がロックであるのだと想う。もしも、私が“あなたの一等好きなロック・バンドは?”と訊かれたなら、即答で“ローリング・ストーンズ!”と答えるだろう。

今も現役のロック・モンスターである。私はビートルズからデヴィッド・ボウイという順番で聴き始めた。そして、ケイト・ブッシュやマリアンヌ・フェイスフル...と今も大切な心のミューズ方と出会う。特に、マリアンヌ・フェイスフルは色んなトラブルとスキャンダルからの脱却後という時期であり、それまでのキャリアに興味を異常に示してしまった。関する書物を読み、重厚かつ複雑な想いを抱き、その想いは次第に愛へと変わって行ったと大袈裟な様だけれど。今現在、永遠のヒーローであるデヴィッド・ボウイと唯一双璧を成すお方である。兎に角大好きなのだ!お若き日の可憐なマリアンヌ・フェイスフルも現在も、どの時代だって。ストーンズはそんな大好きになってしまったマリアンヌ・フェイスフルの人生を台無しにしたミック・ジャガーというヴォーカルが居ると知識だけ得る。限られたお小遣いでまだストーンズは買えない(優先順位があったので)。幼い弟も音楽に興味を持ち始めたので、お年玉でストーンズのレコードを買うように姉の立場を利用し薦めていた。私だってどんなアルバムがあるのか知らないのに弟が知ってる筈も無い。彼は一番近くのレコード屋さんに行き、最も安価な日本盤を一枚買って帰って来た。二人でどんな音楽だろう...と針を置いた。どうもピンと来ないものだった。それは全てカバー曲であった。

そんな日から何年か後にテレビでローリング・ストーンズの「ハイドパーク・コンサート」のライヴ映像が流れた。偶然観ることが出来たのだけれど、マリアンヌ・フェイスフルを自殺未遂に追い込んだ裏切り者という勝手なレッテル、先入観がミックにあった私。けれど、その映像を観てミック・ジャガー、そしてローリング・ストーンズのカッコよさにようやく開眼!観ている内に、安易で愚かなイメージなど吹き飛んでしまったように想う。このライヴには素敵なマリアンヌ・フェイスフルも映っていた(けれど、すぐ後にお二人は破局となる)。

1969年7月5日、ハイドパークの無料コンサートで観客は25万人以上だったという。その二日前にブライアン・ジョーンズが自宅のプールにて死去され、新しいギタリストのミック・テイラーが加入したばかり。ブライアンが亡くなったことで、このコンサートは「ブライアン・ジョーンズの追悼コンサート」ということになったけれど、本来はミック・テイラー加入の新生ストーンズの久しぶりのライヴだった。後に分ったことだけれど、ミックが本を手に詩を朗読する。ブライアンへの追悼なのだけれど、その詩は英国ロマン派詩人のお一人であるパーシー・ビッシュ・シェリーの『アドネイス』よりの引用である。シェリーが友人ジョン・キーツの死を追悼して書いたものとして有名な一節でもある。

かれは死なぬ かれは眠ったのではない
彼は生の夢からめざめたのだ
激しい夢想におぼれ 幻影とむなしいたたかいをつづけ
恍惚となり 精神の刃で
不死身の無を打つのはわれら
その私らこそ 死の家のしかばねのごとく
腐敗し 恐怖と悲哀は私らを
日々 悶えさせ、私らを焼きつくし
つめたい希望は蛆虫どものように私らの肉体のうちに群がる

「シェリー詩集」 訳:上田和夫 より

人それぞれの音楽の愉しみ方があると想うので、それらに正否など有り得ない。私はどうしてか音楽と映画、あるいは文学や絵画といった関連性にハッとしてしまう。なので、どれも切り離すことなどできずに繋がり絡まり合う事柄を愉しむ。殊にロマン派あるいはロマン主義的な作品や世界が好きであるので、感動したストーンズの「ハイドパーク・コンサート」でのとってもカッコいい!ミックやキースのお姿と共にこのシェリーの詩も記憶されてしまっている。

そのローリング・ストーンズの「ハイドパーク・コンサート」での、ミック・ジャガーによるパーシー・ビッシュ・シェリーの『アドネイス』からの朗読(ブライアン・ジョーンズの追悼)から派生というか連想ゲーム癖ゆえにちょっと覚え書き。実質上、ブライアン・ジョーンズはストーンズのメンバーを解雇されたという状況だったことも追記しておかなくてはとも想う。ブライアンの死を予想していた筈も無いので不思議な巡り合わせを想う。

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シェリーの『アドネイス』から連想される神話や絵画が浮かぶ。アドネイスは神話のアドニスからとされる。アドニスというと神話の神々の中でも美少年として有名。色んな画家が主題にされているけれど、このルーベンスの『ヴィーナスとアドニス』(1577~1640)の中の小さな天使(クピドあるいはキューピット)がなんとも愛らしく好き。このお話は、ヴィーナスことウェヌスはギリシャのアフロディテである。ウェヌスの従者にはあの三美神がおり、持ち物には白鳥や鳩、聖なる植物には薔薇や桃金嬢(てんにんか)や林檎がある。美と愛欲を司る女神であり、ことに女性の美しさの典型とされたお方。アドニスはキュプロスの王とその娘ミュラの許されぬ恋を恥じた王女が神に願って樹木に変わり、その幹が裂けて生まれた。そのアドニスは成長と共にたいそう美少年となり、ウェヌスに愛されるようになる。美少年が的になるのは世の常。ゼウスと女神デメテルの娘である冥界王妃ペルセポネもアドニスを愛するようになるので、ここは女神たちの激しいアドニスの奪い合い劇。そして、ペルセポネはアフロディテの愛人マルス(アレス)をたきつけ狩りに出たアドニスの殺害を企てる。ウェヌスは不吉な予感から狩に出ないように頼むけれど、聞き入れずに出かけてしまったアドニスはイノシシに突き殺されてしまった。それはすべてペルセポネとマルスによる嫉妬からのこと。ウェヌスはアドニスの血から薔薇あるいはアネモネを咲かせた。ある説では、アドニスの遺骸を探し求めているうちに、茂みの茨の棘で手を傷つけてしまい、その血が薔薇を紅く染めた。またはアネモネは女神ウェヌスの零した涙から生えたとも。どれにしても美しいお話です。

そして、小さな天使クピド(キューピット)が愛らしくアドニスの足を引っ張っている。クピドはウェヌスと軍神マルスの息子とされているけれど、諸説が存在する。神話の中のロマンスに度々登場するのは、有翼の愛の神であり、彼の持つ黄金の矢に射られた者の心に激しい恋情を植えつける。ゆえに、クピドは人の愛を自在に支配するのである。気紛れに放つその矢の先には運命的な劇的な末路も多い。クピド=天使の題材はかなり好きで、少年愛好へとも繋がる。時代や画家によっては描かれるクピドは両性具有の存在ともとれるもの。また、このルーベンスの『ヴィーナスとアドニス』にしても、なんとも可愛いのだけれど、そもそもアドニスに愛の矢を放ったのはこの愛しきクピドであったというのだから、やはり微笑ましい気まぐれ天使君。

ウェヌスの持ち物である鳩も、このミックの追悼場面に重要な映像として私には焼きついている。流石に英国人だなあっと時空を超えた美しきロマンを想い愉しいのでもある。そして、私がローリング・ストーンズの音楽を聴いたりライヴで得られるあの感動は何だろう。大好きなボウイでさえ、誰も超えられないローリング・ストーンズだけが放つエネルギーをいっぱいに感じる「生の哲学」と呼べるのではないでしょうか。ロック王者は50年を経た今も君臨し続けるのです。ずっと後追いですが、ローリング・ストーンズが大好きです。

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